弁政連ニュース

インタビュー新春インタビュー(2/3)

仙谷由人内閣官房長官にきく

― 平成22年6月8日に官房長官になられてから半年が経過しましたが、官房長官の毎日というのはどのようなものなのでしょうか。

飯田隆広報委員長がインタビュー
飯田隆広報委員長がインタビュー

行政刷新担当、国家戦略担当をやっておりましたので、官房とはなんぞやと横目で何となくは判っていましたが、仕事量は国家戦略担当の更に倍くらいに増えました。

一日の日程は、国会の会期中か否かによっても変わってきますが、朝は早くから官邸に入ります。その後、本会議や委員会等がある場合はこれに出席します。ご存じのように本会議や委員会の日程は必ずしも予定通りにはいかず、時間も日によって変わってきますが、例えば予算委員会の基本的質疑の場合だと午前は9時から12時、午後は13時から17時まで開かれます。

官房長官の職務のうち特徴的なものの一つに、毎日午前と午後の2回の記者会見があります。官房長官はいわば政府の公式スポークスマンとして、政府の動向や見解を述べたり、情報を発信したりしています。

これら国会と記者会見の時間の隙間を縫って、様々な報告を受けたり、打合せをしたりします。国家戦略担当だった時以上に各省大臣、官僚との打合せが分刻みで入ってくるため、目まぐるしく一日が過ぎていきます。

官邸を出る時間は、日によって区々です。予定として事前に組まれたものも、実際には当日の動きに合わせて大幅に変更しながら、仕事をこなしています。じっくり構えていたいのですが、なかなかそうもいかないのが現状ですね。

― 弁護士出身の官房長官として政府の中から見たとき、我が国における行政と司法の関係について、どの ようにお考えでしょうか。

行政も人が運営している以上、絶対に誤りを犯さない、無謬ということはありえません。その行政の誤りを正す方法の一つが裁判でありますが、この裁判は、行政の方針を決めるためにも非常に重要なプロセスです。国を相手に請求をするとき、有力者と誰かが陰で会って、そこでネゴをして決まったというのでは良くありません。国がどういう形でどのくらいの額を負担するのかなど、争いがありえる場合に、裁判というオープンな場で公正に話し合うというのは、国民の税金の使い道を決める良い方法であるはずです。しかし、日本のこれまでのガバナンスにおいては、裁判に持ち出されることを恥じたり、悪だと考える風潮がありました。そして、これまでの政府の体制は、非常にまずいものでした。

これまでの国家賠償訴訟などへの対応の仕方をみてみますと、訴えられた省庁が法務省に依頼をして、訟務検事が裁判所に行って対応するという形になります。ここには官邸の「か」の字も出てきません。また、お金を請求されているわけでありますから財務省が政府の検討の輪に入っていなければならないはずです。なのに最初から財務省が入っていないので、その後、和解勧告、判決が出てから、おそるおそる財務省にお伺いを立てるということになっていた訳です。

― 国を相手にした訴訟については、日々報道等でも拝見しますが、今、日本の官庁はどのくらい訴訟を持っているのでしょうか。

国家賠償請求訴訟は約1万7000件あると言われています。そのうち本省が扱っている訴訟は約1700件、さらに社会的注目を集める案件、新聞報道になりうるものは59件です。年59件ということは、毎週1回はあることになります。法廷の数は700法廷あるということです。同じ種類の事件が、全国にあり1件につき10法廷は有るわけで、次々と後発事件、第1次原告、第2次原告という話になっています。700法廷を200日で割ると1日3.5件の事件が全国の法廷で社会的注目を集める事件がなされていることになります。

これらの訴訟について、「政府全体を統括してどこが情報を集約して、どういう進行になって、その後、政治的な判断が必要な段階がくるのかどうか、これをどこでマネージメントしているのか」と官僚に聞いたところ、やっていないという答えでした。だから、ああやって新聞の大見出しになってから気が付いたり、むしろ 旗が立ってから気づいたりするのです。判決や和解勧告を受けたときに、官邸からのメッセージが必要な事件か否か、どのようなメッセージを出すかなどの検討、つまり最終的な解決に至るまでの検討をどこでしているのかと聞いたら、これまで官邸ではやっていなかったと、こういう話なのです。

大会社でたとえれば、この種の問題については、担当取締役が存在し、なおかつ、その下に法務部、情報を管理する部門、訴訟を遂行する部門、問題を指摘されている部門があり、横目で財務部、そして、それらを束ねる副社長・常務などがいるはずです。「普通の会社であればそうなっているのではないか。我が日本政府はそうなっていなかったのか」と聞くと、なっていないということでした。

今、情報を集約して検討する体制を整えたり、訴訟関係大臣会合を開くなどガバナンスを構築しているところですが、裁判に持ち出されることを恥じたり、悪だったりと霞が関が考えているとすれば、この文化も変えなければなりません。水面下でゴニョゴニョと訳のわからない交渉をして、アービトラリーな結末となるのは問題があります。その点、裁判は公正なオープンな場で決着がつきます。もう少し行政と司法の関係の発想を変えていかなければなりません。


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