弁政連ニュース

INTERVIEW

政治分野における男女共同参画推進の課題(1/4)

早稲田 祐美子 赤松 良子

元文部大臣 クオータ制を推進する会代表(写真右)
赤松 良子日本ユニセフ協会会長


聞き手(写真左)
日本弁護士政治連盟 副理事長 早稲田 祐美子 
元日本弁護士連合会副会長

あかまつ りょうこ 氏

1929年生まれ。労働省(当時)婦人労働課長、国連日本政府代表部公使、同省初代婦人局長、駐ウルグアイ大使等を歴任後、1993年に細川 護煕内閣の文部大臣(当時)に就任した。国連公使時代に「女子差別撤廃条約」(1979年)の審議に参画し、婦人少年局長(当時)として男女雇用機会均等法(1985年)の立案にあたった。1999年に、国・地方議会に女性議員を増加させるため党派不問で立候補者の推薦等を行う一般財団法人「WIN WIN(Women In New World, International Network)」を設立し、また、2012年に「クオータ制を推進する会」を設立して国会議員等への働きかけを続けた結果、2018年に「政治分野における男女共同参画推進に関する法律」が制定・施行された。

「政治分野における男女共同参画推進に関する法律」(2018年)の施行後初の衆議院議員総選挙を控えて、この法律の制定に向けた啓発・要請等の活動を続けてこられた「クオータ制を推進する会」(「Qの会」)の 赤松 良子 会長からお話をうかがいました。


本日はお時間をいただき、ありがとうございます。

私は1983年に大学を卒業しました。1985年に男女雇用機会均等法ができて女子学生も男子学生と同じように就職ができるのを身近に経験していますので、それを可能にした法律を作られたことはすごいと思います。それは、赤松さんが国連の日本政府代表部の公使として国連に行かれて世界の流れを見て、日本はまだまだ男女が均等ではないとお感じになり、その後、非常にご努力されて法案を作られたと伺っております。

女子差別撤廃条約から男女雇用機会均等法へ

私はちょうど50歳の時に国連代表部の公使としてニューヨークに赴きました。公使というのは名前だけの名称公使と本当の特命全権公使とちょっと段階が違うんです。最初は参事官公使でした。名前だけは「公使」といって名刺も刷りましたけど、参事官待遇なんです。三年間いましたけど、帰ってくるときは特命全権公使でした。

三年の間にいろいろやりました。国連総会の第三委員会というところが社会問題・婦人問題を扱うところで、第一委員会が政治、第二が経済、第三は社会、第四が財政だったか、委員会が別れていて、女性が行くのは、だいたい第三委員会でした。私は第三委員会の日本代表として座りました。「女子差別撤廃条約」の三年目の審議でした。委員会で上げて総会に送れば総会も通してくれるだろうから、条約が成立するぞ、と。あとは各国が成立した条約をどうするか、批准をするかほったらかしにしておくか国によってまちまちです。

この条約を仕上げることが当時最大の課題でした。委員会は私が代表で、中村道子先生が代表代理でした。中村先生は大学女性協会JAUWの会長を務められて2021年2月に亡くなられたけれども、英語がとてもできる方でした。小学校はニューヨークで英語。子どもの時の英語は耳が違うんですよね。私も学校で英語を勉強したのですけど、ヒアリングの力はまるで違うんです。その中村先生を頼りに外務省から来ていた参事官も、中村先生のノートがあれば本省に報告できるという感じでやっていました。代表部の第三委員会担当は5人いて、なかなかまとまったいいグループで、他の委員会の人たちから、あのグループ楽しそうだね、と言われていました。みんなで仲良く生活もし、条約の審議をした。それが私の最初の公使の仕事でした。

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